■奈良の油煙墨は、巷間室町時代・興福寺二諦坊において持仏堂の薫滞した灯明の煤をとり膠と和して作ったのにはじまるといわれている。
■宮武家は享保2年(1717)創業と伝えられる老舗、 春松園 (屋号は金子屋、当初は奈良の中筋町に所在) として大正年間まで8代にわたり製墨業を営んでいた家である。
このコレクションは8代目当主佐十郎氏により蒐集・整理されたもので、自家製墨のみならず、松井元泰 (古梅園) をはじめ江戸時代の文献にもその名のみえる墨屋の古墨、墨型などが含まれる。佐十郎氏が大正5年に整理したときの覚書によれば、氏の親友であった春田龍吉氏 (池之町に所在した春田播磨の子孫) より同家の伝来品を譲り受けたものという。 墨は実用品であるだけに、江戸期の奈良墨の実物がまとまって遺されている例は少なく、大変貴重である。 (奈良県立民族博物館・資料ヨリ)
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