趣 意

古代日本と百済は親密な関係にあった。百済第二十五代「武寧王(斯摩)」の父、第二十一代「蓋鹵(餘慶)」の弟が渡来、

河内飛鳥に居住して飛鳥戸造らの多くの末裔を残した。 現在ブドウの産地羽曳野市飛鳥に鎮座する「飛鳥戸神社」の祭神は「昆支」といわ

れている。 渡来の足跡を辿り古代日韓関係を両国の若者が、史実に基づき未来志向で共生する指針になればと日韓の著名歴史学者を

招き、緑の地で下記の通り国際シンポジウムを開催することになった。



      主 催    「河内飛鳥と武寧王」国際シンポジウム実行委員会
 
      共 催    羽曳野市・羽曳野市教育委員会・朝日新聞社・韓国東亜日報社
     
      助 成
    日韓文化交流基金

      後 援    駐大阪韓国総領事館文化院・韓国観光公社・韓日伝統文化交流協会

      日 時    2003年9月21日 (日)  12:00〜16:00

      ところ     〒583−0854 大阪府羽曳野市軽里 1丁目144番地 Tel: 0729-50-5500
               LICはびきの (羽曳野市立生活情報文化センター)Fax: 0729-50-5505


     基調講演  上田 正明 (京都大学名誉教授)     「武寧王と日韓関係」

              文 ? 鉉 (韓国慶北大学名誉教授)    「武寧王の誕生」

              任 東権 (韓国中央大学名誉教授)    「平安遷都と百済」

              笠井 敏光 (LICはびきの館長       「河内飛鳥と昆支」


      司 会   趙 萬済 (韓日伝統文化交流協会会長)

      参加料  1,000円 (当日会場で支払い)  

      定 員  700人 (先着順 定員になり次第締め切り)

      申込み 往復葉書(一人一枚)郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号を明記

      連絡先  〒羽曳野市誉田4丁目 1−1
              羽曳野市教育委員会 歴史文化課 Tel: 0729-58-1111


1971年大雨のあと百済第二の都、公洲市で発見された武寧王陵から出土した買地権や墓誌の記録と武寧王が筑紫各羅嶋で出土した

日本書紀の記述が一致していることが判明した。

日本書紀 <巻第十四 第二十一代雄略天皇(456-479)>六月丙戌朔、孕婦ヵ果如加須利君言、於筑紫各羅嶋産皃。仍名緋此皃日嶋

君於是、軍君即以一船、送嶋君於國。是為武寧王。百済人呼個の此嶋日手嶋也。

百済が663年の復興戦で滅亡した。「白村江の戦い」は忠清道唐津郡(九州唐津市と同じ地名)の牙山湾か、全羅道辺山半島からの諸説

がある。日本からの援軍が干潮で船の動きがとれずにいたところ、唐と新羅の連合軍に挟み撃ちされて壊滅し満潮で牙山湾の海岸に漂着

した遺体を地元では細長い穴に纏めて埋葬した。その墓は通称「ぶっ込み墓(マンドム)」と言い伝えられている。百済復興戦で戦死した鬼室

福信の子「鬼室集斯」は滋賀県蒲生郡日野町小野の「鬼室神社」の祭神として祀られ、武寧王陵発見と同じ1971年奈良市日笠町、竹西英

夫氏の茶畑から出土した古事記の編者「太安萬露侶」の墓や桓武天皇の父君・光仁天皇陵など、琵琶湖周辺・京都・奈良や大阪府羽曳野

周辺には朝鮮半島から渡来した史跡や古墳が数多くある。今回のシンポジウムは古代倭国と大陸との係わりを歴史のロマンとして探求する

のが趣意である。

                               ■河内飛鳥と武寧王シンポジウム実行委員長・関 美晴(Yoshiharu Seki) 

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